オーナーのつぶやき〔2012〕[2011/12/31(Sat)19:12]

※紙上名刺交換      〔2012/01/01〕
※くらしの作文        〔2012/01/01〕
※中日新聞・白井会長に伊大統領から勲章 〔2012/02/07〕
※河村市長発言・南京側の好感触きっかけ 〔2012/02/24〕
※テレビ塔 再オープン  〔2012/04/27〕
※理容ハル創業46周年 〔2012/04/29〕
※中部経済新聞「マイウェイ」連載 〔2012/05/12〕

紙上名刺交換

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。  平成24年 元旦

「理容ハル」のお客様で新聞紙上でお正月のご挨拶をしてみえる方をご紹介します。

〔中日新聞より〕
 ー中部地区ゴルフ場紙上名刺交換ー
   ・鈴蘭高原カントリークラブ
     理事長 大島 宏彦 様
   ・中日カントリークラブ
     理事長 白井 文吾 様
   ・愛知カンツリー倶楽部
     理事長 小山 勇  様

 ・村上  実 様 (保険相談センター代表取締役)
 ・鈴木 重雄 様 (ゴルフショップ1番館 代表) 

〔中部経済新聞より〕
 ・大島 寅夫 様 (中部マーケティング協会会長)
 ・小澤 正俊 様 (財団法人 中部生産性本部会長)
 ・桑原 良介 様 (旭化成ホームズ中部営業本部長)
 ・日比 義郎 様 (内海商工会会長)
 ・中村 正典 様 (愛知県弁護士会会長)

くらしの作文

 中日新聞に「くらしの作文」という読者の作文を掲載する欄があります。平成24年1月1日付の作文を紹介します。

―新年の風景― 菅沼 博子(愛知県新城市=無職・69歳)

 実家は理髪店で、年末は目が回るような忙しさだった。母と職人さん2人の小さな店に朝からお客さんが来て、文句も言わず 10人くらいの順番待ちをしてくれていた。中学生だった私も朝から晩まで手伝った。
 大みそかの深夜になってやっと静かになり始めるが、今度は自分の店を閉めた大将たちがぼつぼつとやって来るので、店じまいするのはいつも元日の午前3時すぎ。店の外をのぞくと、豊川稲荷の参拝客がにぎやかに歩いていた。
 結婚して初めての大みそか。静かな田舎の年越しが無性に寂しくて、(人混みに身を置きたい)と思ったものだが、それも半世紀前のことになってしまった。
 今はテレビで中継される除夜の鐘を合図に近く氏神様に出かけ、集まって来る隣近所のみんなと新年のあいさつを交わす。
 境内の火に去年のお札を投げ入れて燃す。その火に照らされたどの顔も知った人ばかりの和やかで優しい年の初め。そんな雰囲気の中に身を置くことに、うれしさをしみじみと感じている。

 ※私も中高生の頃、年末は店の手伝いをしたものです。年が変わってから入って来るお客さんが何人もいました。それが今では大晦日の「理容ハル」は午後5時で閉店です。時の流れを感じます。

中日新聞・白井会長に伊大統領から勲章

 日本、イタリア両国の文化交流に貢献したとして6日、中日新聞社の白井文吾会長にイタリア大統領から共和国功労勲章コメンダトーレ章が贈られた。
 東京・三田のイタリア大使公邸で行われた授賞式では、長年にわたるイタリア美術の最高レベルの展覧会開催が、授賞理由として挙げられた。特に2009年から10年にかけて、東京、名古屋など四会場でひらいた「古代ローマ帝国の遺産」展が高く評価された。
 べトローネ駐日イタリア大使は「ローマ帝国をいろんな観点から紹介いただいた」とたたえ、勲章を手渡した。
 白井会長は「展覧会の開催は新聞社の社会貢献と考えています。わが社の美術スタッフと今回の栄誉の喜びを分かち合いたいと思っています」と述べた。
    〔2012/02/07付中日スポーツより〕
 
 ※白井会長にご来店いただいた。記事の切り抜きをお見せするとニッコリされた。会長個人が受賞したのではなく、美術スタッフや新聞社が受賞したという意味の微笑みと感じた。              〔02/08〕

河村市長発言・南京側の好感触きっかけ

 河村たかし名古屋市長の「南京(大虐殺)事件はなかったのではないか」との発言で、中国・南京市との友好都市関係にひびが入った。市長は22日、関係継続をを呼び掛けたが、持論でもある発言を撤回する様子はない。事態が沈静化に向かうかは不透明だ。
       〔2012/02/23付中日新聞より〕

 ―河村市長「南京発言」要旨―
  南京とは、死んだおやじのころから深い縁があり、そのことをまず話したい。おやじは南京で終戦を迎え、南京の寺で部隊が駐屯させていただき、温かいもてなしを受けた。例えばラーメンの作り方を教えてもらったり、農家から野菜をいただいたり。だから僕も3〜5年前、その寺に行ってきた。うちのおやじは僕に「おまえが生きているのも南京の皆さんのおかげだ」と言っていた。
そのお礼に、おやじが寺にサクラ木を千本プレゼントして、大きく名古屋の新聞に出ました。
いわゆる南京事件は(終戦の)8年前の昭和12年。もしそんなことがあったら、なぜそれほどまでに日本軍の人に優しくできたのか、理解できない。
 僕はあの、真の中日友好のためにも、なかったんじゃないかと。通常の戦闘行為はあったけどね。残念だけど、真実を明らかにしないと、とげが刺さっているようなものでうまくいかないですよ。いっぺん、ぜひ、討論会を南京で開いてほしい。南京の人に感謝しとるからね。
 やっぱ、言うべき事を言ってやらないといかん。顔を見ているとリーベンレン(中国語で日本人)と同じ顔。漢字を使っているのは日本だけ。あまり言いたくないけど、中国が兄貴で日本が弟なのは歴史的に間違いない。大きい心にならないかん。
    〔2012/02/21付中日新聞・夕刊より〕

 ※名古屋市と南京市は1978年に姉妹都市提携を結びました。河村市長はもともと「南京事件」に疑問を持っている人。20日、名古屋市役所を訪れた中国共産党の南京市委員会幹部らにその事を述べ、「真実を明らかにするためにも、討論会を南京で開いてほしい」と求めた。
 南京の訪問団と友好を温めている時の発言で、マスコミは南京事件の発言の部分ばかりを大きく取り上げすぎのように思います。テレビでは「南京事件はなかったのでは」という部分しか流れていない。でも、市長たるもの歴史認識に食い違いのあるデリケートな問題を公の席で発言してはダメでしょう。経済や観光に影響が出てくると思われます。すぐにも発言の撤回をすべきでしょう。
 ※2月の中旬、中国のお客様がシャンプー&ブローにご来店。「中国の何処ですか?」と聞くと「南京ダヨ」と答えられました。間髪いれずに「南京の人は日本人を恨んでいますか?」と聞いた。すると「そんな事はないよ!でも資料館があるからネ」と。歴史の事実を受け入れ、今後も友好的な交流を深めて行かなければと思いました。約80人の団体旅行で3000万円の予算だそうです。大きな金額にビックリです。
 ※私は常々、歴史教育は明治維新から始めるべきと思っています。そうしないと近隣の国々との外交関係を理解する事が出来ない。
 ※しかしマァ、河村市長のあの品のない名古屋弁は何とかならなかネェ..あんな名古屋弁をいまどき使っている人なんかおらんがね。名古屋の上町言葉は京言葉・船場言葉と並んで「日本三大美方言」の一つに数えられているのニィ。もっとも名古屋の上町言葉もすっかり耳にしなくなって残念でしようがないワ。ちなみに私は南知多の出身で名古屋弁はしゃべれんがね。 

テレビ塔 再オープン

 電波塔としての役目を終えた名古屋テレビ塔(名古屋市錦三)が26日、装いを新たにして再オープンした。今後の運用には課題も残るが関係者は「名古屋城と並ぶ名古屋のシンボルとして活用していきたい」と決意を新たにした。
 式典には放送、観光などの関係者300人が参加。テレビ塔会社の大沢和宏社長が「名古屋の財界、市民の総力を挙げて造られたテレビ塔の原点に立ち戻って、栄地区の活性化につなげていきたい」とあいさつした。
 テレビ塔は高さ180メートル。昨年7月の地上デジタル放送への切り替えを受けて先端近くにあったアナログ放送のアンテナを取り外し、1954年の完成当時のスリムな姿に戻った。銀色の塗装も7年ぶりに塗り直した。

    〔2012/04/27付中日新聞県内版より〕

 ※このところライトアップされたテレビ塔が肥満のように見えていた。あれはネットで回りを包みアナログ放送の機器の取り外しの工事をしていたのかと、記事を読んで気付いた。4月30日、大沢社長ご来店。「おめでとうございます」と伝えた。

理容ハル創業46周年

 中日ビルは昭和41年の4月29日(昭和天皇誕生日)にオープンしました。今年の4月29日で、理容ハルは中日ビルと共に満46年を向かえました。中日ビルのある限り共にありたいと思っています。今後共ご愛顧の程よろしくお願い致します。
           
            理容ハル  中村 節男

 ※46年は長い!!高度成長からバブル、バブル崩壊と余りにも激しい変化に大きな驚きを覚えます。三代目にバトンを渡すのが私の役目と常々思っています。
 
 ※28日(土)中日ビルタウンの“春の誕生祭”の一環として宝塚O.G.の立樹 遥さんが一日店長として館内を巡回した。理容ハルにも立ち寄ってくれましたが、理容ハルはこの日朝からてんてこ舞いの忙しさ。会釈を交わして終わってしまった。

中部経済新聞「マイウエイ」連載

 中部経済新聞で「マイウエイ」の連載が始まりました。中部地方の経営者に、これまでの企業経営や人生を振り返ってもらい、エピソードなどを掲載するものです。第1回(3月19日より)の登場は、理容ハルのお客様の大同特殊鋼会長の小澤正俊さんです。記事を切り取ってスクラップ帳におさめました。少しずつ目を通しています。4月に29回を数えて連載が終わりました。
 昭和45年、新日本製鐵が発足と同時に中日ビルに入館しました。お名前は忘れてしまったけれど、当時の専務さんが何年か後に大同の社長として就任しました。小澤さんも新日鉄の出身かと思いお尋ねしましたが、小澤さんは大同特殊鋼の生え抜きとの事でした。
 ※連載を読み終えるのは何時になるかナ..
            〔2012/05/12〕

ヴィダル・サスーン氏死去

 世界的なヘアスタイリストのヴィダル・サスーン氏が9日、米ロサンゼルスの自宅で死去、84歳。米メディアによると、地元警察は「自然死」としている。白血病を患っていたとの報道もある。
 ロンドンでユダヤ系の貧しい家庭に生まれ、48年に第1次中東戦争にイスラエル兵として参加した後、54年のロンドンで美容院を開業。
 60年代、面倒な手入れを必要とせず、自然でありながら革新的なヘアスタイルを次々と発表。女性の社会進出を背景に大流行を生み、美容界に影響を与えた。
 氏名を冠したシャンプーなどが世界各国で販売されているほか、各地に美容学校がある。10年には半生が米国で映画化された。(共同通信)
        〔2012/05/10付中日新聞より〕

 ※サスーンカットは美容業界ばかりではなく、理容業界にも大きな影響を与えました。カットに展開図 (設計図のようなもの) が使われようになったのはサスーンカットが発表になってからではないでしょうか?私の記憶があいまいなので断言は出来ませんが..今ではヘアスタイルの紹介には必ず展開図が示されています。
 そして、ミニシザーズが理美容業界で使われるようなりました。理美容共に精密なブラントカットが求められるようになりました。美容業界ではそれまではレザーが多用されていました。中日ビルの近くのヒオキ美容室の先生にカット用のレザーの研磨をしょっちゅう頼まれていました。
 それでも私はサスーンカットの限界を感じていました。なぜなら、日本人の髪は太くて硬い。そんな時に出会ったのが尾坂先生のスライドカットです。髪を傷つけずに毛量を調節し同時に流れも創っていくものです。日本人に限って言えば尾坂先生のカットはサスーンを超えていると思っています。その尾坂先生のカット講習を10回以上受けましたがモノに出来ないのがとても悔しいです。スライドカットというと髪に傷をつけているように感じてしまうので、なにか良いネーミングがないものかと思っています。

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